私の中の母 その2

セラピストかなこのブログ

昨日のブログの続きです~

私の中の母
私から見た母は、すごく頑張り屋で。 祖父母の農業の手伝い、パート勤め、気分にムラのある父への気遣い、私と弟の習い事の送り迎え、料理、洗濯、掃除、犬や猫の世話、畑の手入れ、花の手入れ、などしている姿を見て、 子供な...

 

長女の出産後、ちゃんと母親として頑張らなきゃ!という想いで子育てをしていた私ですが、子供の自我が芽生えてくると、だんだんと一筋縄では行かなくなってきましてね。

 

私の良かれと思う通りには子供が納得しないことが、とってもストレスでした。

 

それは子供だけではなくて。

 

夫に対しても、職場の人間関係でも、

 

私はこんなにやってるのに。とか、私が正しいはずだ。という想いがあって。

 

夫には随分そういう部分をぶつけてきたと思います。

 

父ともそいういう部分で対立することがしばしばあったけれど、母とは感情が揺さぶられるほどの対立はあまりなかったような気がします。

 

母は面と向かって人と対立することを避ける人だったな、と今でこそ思います。

 

それは私ともそうで、自分の意見を伝えたり人の心を受け止めたり、というよりは対立を避けるために自分を抑える、我慢する、ということの方が多かったのではないか、と感じています。

 

私は、物心ついたころには母とは深い話はできない、と思っていました。

 

母にはきっと私の心の深みはわかりっこない。

 

そんな思いがありました。

 

なんだかいつも忙しくて、でもお母さんて大変だから、、、だから私と向き合えないんだよね。

 

お父さんに一方的に怒られていることから助けてほしいのに、なんで守ってくれないの?

 

ある時私が父に怒られてていた時、私が父の思い通りには全く納得しなかったこともありさらに父の逆鱗に触れ、母は父から『こいつがこんな風に育ったのはお前の責任だ!』と責められていました。

 

そこで何の反論もなしに『すみません』と謝る母を見て、『やっぱり母には私のことはわからない』というなんとも言いようのない悲しい気持ちと、そんなことを母にさせてしまったという罪悪感で心がいっぱいになったことを覚えています。

 

私は、子供のため、家庭のため、といいながら、母に褒められるいいお母さんを目指していたんだな、と今では思います。

 

母の機嫌を一番に気にして生きていたのです。

 

また、頑張ることで認められるべき!と思っていたのですが、それは心の底からやりたい生き方のはずもなく、頑張っても頑張っても、認められているという感覚を得るどころか、『なんで認めてもらえないんだろう』という失望感ばかりを感じていました。

 

子供の私が母の生き方から受け取った『もっと頑張れ』というメッセージは、いつしか私自身の中のもう一人の私の声になっているようでした。

 

その声はとっても厳しくて、できてない自分をいつも批判していました。

 

現実の母がいつも私を批判しているわけではなかったんですけれど、親のイメージや親からどのように関わってもらったかということが、思考パターンまで作ってしまいますから、大人になってからの人生にも大きく影響していたわけです。

 

当時の私は、潜在意識の仕組みなど、全くの無知でしたから、自分の中のぐるぐるとした怒りが一体何なのかわからないまま、言いようもない罪悪感と漠然とした『生きづらさ』を感じながら日々を過ごしていたのです。

 

生きづらいのは自分の『性格』ゆえだと思っていたので、『性格は一生変わらない』と思っていたこともあって、誰かに助けを求めようという選択肢を持たないまま、運命の高橋式セラピーに出会うこととなります。

 

その3に続きます♪